うんKOの日常的日記的ニッチ

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ポリデントで無理でんと。エッセーなエッセイ。

幕末の乳。

藩主はう、ちくび。

ギロ、ちん。

私は、いまだかつて感じ取ったものが無い、感情、があります。小馬鹿にされ、笑われ、見下される、この様な事に、喜びは感じた事がありません。自尊心の核をつつかれ、たたかれ、ゴミの様に忘れさられてゆく。理由は簡単です。私がしょぼいからです。多数多くの人が、力のある、頼もしい、憧れてしまうような、人間...その様な方..に、傾倒します。思うのです、弱肉強食の世界を。結局、人間はどんなきれい事でも、本当の弱者の気持ちなどは、決して、理解できないのではないかと。もしかすれば、私は、最終的には、神以外の存在を恐怖の、ただそれだけの存在に化かしてしまうのではないかと、しかし、ここで、感じるのです。多くの健常者も、多くの弱者も、大きな存在に傾倒しているのでは、と。やはり、やっかいなことに、人間は、動物であると、結局、世の摂理には何人も、かなわないのではないかと考えるのです。そして、神様の前には何人も、かなわないのではないかと考えるのです。そして思います。弱者は大望は、持つべきでは、ないのでは、と。健常者にはどんな弱者も、かなわないのではないかと考えるのです。

人間は生きています。そして様々な人格の方々がいらしゃいます。人間がもし、平穏を望み、地球を平和になさりたくあらば、他者にならなければならない、と、考えます。しかし、現世はそうはいきません。が、他者にならなければ、本当の人間相互の理解は出来ないと、考えます。しごく簡単なことですが、それ故、生まれ変わり、が、あるのではないのでしょうか。様々な生き様を、人間が、その魂が、経験し学び、...理解を深めてゆく...人間は生きています。そして様々な人格の方々がいらしゃいます。考える事に、賢、愚、などの判別はそもそも無いのではないかと...博愛という意味合いではありませんが、現世は、人間、動物、生命の学びであり、いずれ、気付くと思います。世の中が本当の危険にさらされた時、人間の生まれ変わってきた、魂の遍歴により培った、様々な人間像により、...救われる...のではないのではないかと、救世主は一人の傑人では無いと考えます。全ての方々ではないだろうか、と。

望んでも実現できないものがあります。当たり前の事です。全ての人、持ち合わせていると考えます。自分に無いもの。有るものは、おそらく大切にします。自分ですから。自分に無いものを望む。しかし、無いものが有ってはじめて人間だと考えるのです。無いものが有る。私は、すごく魅力に感じます。無いから、努力なさると。実現できないと言いましたが、それは、望むからです。私は無いものが有る...存在する...と、思いこむ事が、現実に実現する第一歩だと考えます。無いものが、在ればあるほど、可能性は広がりゆくと考えます。思いこむ、思いを込めます。自分に。そして、望むのではなく、臨むのであります。そこに必須なのは、謙虚になる事だとも思うのです。自分に自信が無い、無いから、得ようとします。一括りには出来ませんが。謙虚な心が無いものを得ようとする出発点だと。そして、第一歩、思い込みます。アホな理屈ですが、例として、自信無き存在が、もし大きな自信を得る。謙虚に発生し、思いを込めて出発し、紆余曲折をへて、自信を得る。どんなに長い道のりであったにせよ、高慢にならない最短距離であると考えます。自信の元々備わった存在は、大きな地震にて崩壊するかもしれません。無いものが有る、ということは、本当はすごい事だと、考えるのです。支離滅裂になってしまいましたが...

夢、もう少しで達成と喜びを感ずる筈であったが...命の掛詞などは有るよしもなく、本望の湖に沈殿している腐敗した惨敗の涙の結晶。その結晶はいかに細部まで観察したとて、言葉に出来ないほどに、ぼろぼろである。人道は地上を奔る光のごとく、四方八方に散らばる。有頂天になれるのは、一筋の天に方向づけられた一本のみ。離散してゆく人間達、人生に掛詞など有る筈もなく、ただ、あまねく広がる空間に飛ぶ事も出来ずに、はいずり回り、疲労してゆく。問題の解答は、またしても出題者への問題であり、そして、個人はとけ込める様な解凍を期待値に据える。人間は帰したがり、魂は帰したがらない。鎹の魂、何時しか、破壊されゆく自尊の物語に人間と名乗る人物の自刃の精神衰退を、くい止める。傷を負い、喪に服すまで、人間は機械工の様な人生を立て続けにおくる事が学びなのか、病気なのか。はばかる人間を名乗り出た似非の、心無き猛者、自ら覚えた怒りは結局恐怖に回帰される。倍にさらに倍に、人間は空腹になる。死すれば、終わる。何事も、そして、最後は、涙流した分、存分に笑う。

どんな知識や地位も、名作だとは思えません。別段ひがみでもなく、真面目に思うのです。私は小さな世界をちまちまと、活動していました。今もです。一時期、富めるものの集まる世界に存在しておりました。しかし、存分に病んでおりました。その世界は、物質、知識、地位、ございました。しかし、本当の謙虚と愛が、まるでありませんでした。そこで、私は発病しました。思います。今までの小世界での活動は、第三者の富める者の視点では、馬鹿げております。相手にもされないでしょう。はっきり申し上げて、あの方々は、正式な大人ではありません。この見識には、存分に反論をうけるでしょう。彼らも自らの人生があり、誇り高き存在であるからです。しかし、否定している訳ではありません。おそらく、大きな責務を課されているのでしょう。が、だからこそ、どんな知識や地位も、名作にはならないと、考えてしまうのです。ここで止めます。しかし、私は富めません。

大きな木、大樹。成長するまでどれほどの年月を経てきたであろうか。人は大樹をなぎ倒す時、切り倒す時、おそらく躊躇するでしょう。むろん、一括りには出来ません。その後、大樹は、何かに化けます。人間に活用されるため。しかし、思うのです。長期を経て成長した大樹は、そのままでも、十二分に活用されていた、と。そのままで、いかに人々に、動物に、自然に、貢献してきたか、と。簡単です。現実に起こっている事実の、比喩表現です。大樹は、人間に置き換えます。人間は野生のまま生きている訳ではありませんが、...純...な人、本当に素直に謙虚であり、しかも、すごい能力を持ち合わせた人。成長すれば大樹です。おそらく。しかしながら、様々、妨害にあいます。なぎ倒す、切り倒す、は、妨害に置き換えます。そして、何かに化ける、は、社会の為に貢献する、一つの組織の一員になる。です。さりとて、この流れは、当たり前の事です。別に深い意味合いは無いです。おそらく、世の中の大樹、それ相応の傑人。減ってゆくと考えます。変な言い方、人間環境問題です。

楽になる、落差があれば楽になるのは、少しばかり変ですが、誰もいないと考えます。下ろす、見上げる、おそらく下ろすのは、殺すだと考えます。殺人では無く、自爆です。被爆者は見上げる人々だと考えます。落差、格差、上の人々、下の人々、各々、上の爆発により下は被爆し、その後、世の中、何も無くなるかもしれません。胆略的な今頃の比喩表現です。私が言っても何もなりませんが、...気持ち...は、非常に大切であると考えるのです。もし、穏やかな気持ちが、つつがなく日持ちしてくだされば、多くの人、保ちます。多分ではありますが...平和、とゆうものは、人々の気持ちが平等...平ら...で、人々の落差が無く、丸くおさまる...和...だと考えるのです。まことに、つまらない理屈です。実現したとて、もとのむくあみ、かもしれません。私はそこから、正義の限界、人間の限界、を、感じてしまいます。大きければ大きいほど、その爆発が恐いものです。何事も...

感情の路上に刺し詰められた言葉のあやを覚える。みだりに想像し、打ち付けられその場に倒れ込む。いかに速くともその発端と末端は、自己の最終観念の同極かもしれぬ。低迷堕落、失墜の路肩にここぞと、自分を映し出す悲観の想像回顧録を練り上げる。無くあれば、生き、泣くあれば、死す。心痛のこだわりは、病垂の覇気。吐き気をもよおす泥酔である。地味に成り行く御身は、いわば老化への護身かもしれぬ。別れの経験的な売買。この世とである。死して、巨万の精神の遺産を残す。しかし別言、胃酸である。どうあがいても、吐き気を踏み倒せない。無くあれば、生き、泣くあれば、死す。覇者的人材、秀でた者。裏は、がせ的になりうる。背中が、うそぶく全てを背負う。重荷は、耐えかねた存在を容易く、絶やす。人物低迷の、迷路。

私は、現在を、その瞬間を、...絵...にしていみたいものです。確定的に素晴らしくはありません。えになりません。見栄えは最悪。しかし、写真ではありませんので、よほど汚くとも、美しく塗り返せます。人間の記憶、であります。さんざん未熟で、鈍くさく、虚しいものであっても、時が経ち、思い返せば、最高の絵画になってます。一括りには出来ません。生命は最終的に、自己を...絵...にする為、生きていると考えます。その場、その人、時間が経てば変わってしまいます。だからこそ、書き残しておきたくあります。もしかすれば、ただの私のこだわりかもしれません。ただ...無料です。ただのこだわりは、結局、価値のない、自己を満足させる為だけにすぎないかもしれません。しかし、それで良いと考えます。馬鹿にされる絵画でも、輪郭しかない絵画でも。精一杯生きた証。証明書の様な絵画です。おわたしする存在は、紙をうけとって下さる方。神...であることを願います。

おそらく、世の中、凡庸でも無ければ、平凡でも無いと考えます。その上、寛容でも無ければ、自らを乱用も出来無いと考えます。しかし、高揚しているかもしれません。...何事も、用を足しています。私は粋な人生、生涯にわたって無いでしょう。結論立ててしまえば、逃げるしかないのかもしれません。しかし、この考えは、しごく高慢です。人間と人生を厚かましくあつかった、粋、では無く、生意気な意見です。私の本心は、述べるにあたいしません。非難からの避難。井の中は、永遠です。しかし、何もしなければ、いずれ腹下しをおこすでしょう。井の中で、用を足すだけの人生になりうるでしょう。病の中で、高揚し、お別れを告げるかもしれません。本当の高揚、美しき紅葉は、戦い、向き合った人生からしか、眺める事は出来ないかもしれません。しかしながら、地味な紅葉は見れるかもしれません。一つの木のはがれ落ちた、紅い葉が、井の中に落ちてくるかもしれないからです。私の希望とは、その様なものです。

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